皆さんがイメージするソロモン諸島とはどんな国?
あまりピンとこない方が多いでしょう。
ソロモン諸島はパプアニューギニアに接している国で
南太平洋に浮かんでいる1000もの島で成り立っている国です。
さてどうでしょうか?
どんな国なんだろう?
国土
岩手県の2倍ほどの国土である。
首都は、ホニアラです
時差は
日本から2時間進んでいます。
オーストラリアからはQLDからだと1時間です。
所要時間
オーストラリアから首都のホニアラまで約3時間
通貨
ソロモン$
1ソロモン$ 0.2オーストラリア$ 日本円で16円で計算。
かなりカラフルな色で、最近$20ソロモンドル札ができました。(2018年)
物価
島国なので流通費用が高いので、途上国としては高いですがオーストラリア、日本ほどではありません。
缶ジュースは5ソロモン$ 日本円で80円
水は1.5l で10ソロモン$ 日本円で160円
ソロモンの一般の方がいくようなレストランは、約50ソロモン$ 日本円で800円。
日本食レストランや欧米人がいくようなレストランもありますが、オーストラリアや日本と同じくらいかものによってはそれよりも高くなります。
最近ではタクシーサービスも出て来ていますが、メーターなどはなく1時間50ソロモン$が一般的な値段です。
それに比べ、バスは2ソロモン$であるので、タクシーがどれだけ高く一般的なものではないとわかってもらえるでしょう。
治安
治安は途上国としてはかなり良いです。
ソロモン諸島には温和な性格の人が多く、特に日本人に対しての好感度がかなりいいため優しく接してくれます。
しかし、お酒を大量に飲む人や、薬物依存の方も少なくありません。
自給自足がまだ多いソロモン諸島ですので油断は大敵です。
国民性
かなりフレンドリーな国民性を持っています。
ゆったりとした時間を過ごし、物を大切にします。
近所の付き合いを大切にし、近所の親たちが子供を育てる…
戦後の日本のような感覚を覚えました。
気候
気候は熱帯性気候であるので、高温多湿の常夏の国です。
かなり暑さが厳しい気候に思えますが、夜は気温は下がります。
四季はなく、乾季と雨季に分かれます。
乾季は7月から9月にかけて、雨季は1月から4月にかけてです。
人口
ソロモン諸島の人口は、約52万人。
その人種構成は、メラネシアン:93%、ポリネシア:4%、ミクロネシアン:1.5%、ヨーロッパ人:0.8%、華人:0.3%、その他:0.4%から成り立っています。
そのうち約96%がキリスト教徒で、他の約4%は地域固有の精霊信仰の人達です。
ソロモン諸島では、集落や部族の結束が今もとても強く、4000とも言われる数のコミュニティに分かれ生活をしているようです。
ソロモンの歴史
ソロモン諸島の歴史は古く、紀元前1000年までには、メラネシア系の住民が定住していたと言われています。 旧石器時代に、サフル大陸から人類が移住してきた南限となっているので、ここを境に、おおよそ北西にある島々をニアー・オセアニアと呼び、おおよそ南東にある島々をリモート・オセアニアと呼ぶようになったとされています。 その後、1000年間は動きは停滞し、1568年スペイン人探検家のアルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラがヨーロッパ人として初めて渡来。 ガダルカナル島で砂金を発見し、名前の由来となる「ソロモンの宝」と考え、ソロモン諸島と名付けられました。
1893年にイギリスの植民地となり、1900年にはドイツ領だったソロモン諸島の北部もイギリスが獲得。
同年にはコプラ産業も開始し、第二次世界大戦ではガダルカナル島が日米の激戦地となっており、1942年に日本軍に占領され、1943年には日本からアメリカが占領する事になる。
1976年に自治権を獲得し、2年後の1978年にイギリス連邦内の独立国となった、まだ若い独立国。
1998年から5年にわたり民族紛争があり、今の若い世代も戦争の体験をしている。
現代では、多くの国に支援されホニアラの市内は都会化されてされて来ているが、車で20分程度行くと集落があり自分で育てたものを売ったりと自給自足で生活をしている。
日本人の私たちにとっては、戦争はもう70年以上も前のものとなりました。
覚えている方が少なくなっている中、ソロモン諸島には日本人が第二次世界大戦で戦死し埋められた場所がそのまま残されており、心に響くものがたくさんあります。
もちろん島自体の歴史や、食べ物、景色なども素晴らしいものばかりです。
M.E.Lではそんな魅力的なソロモン諸島でのホームステイと観光案内を現地スタッフにより体験していただけます。